会長挨拶

この度、歴史と伝統ある修道医会会長を拝命いたしました高校28回卒金茶バッジの板本でございます。現在県立広島病院の院長を務めております。修道医会の会長という重責を実感し、今も緊張しながらこの原稿を書いております。

さて修道医会の原型である呉地区修道杏林会が昭和30年に開かれ、昭和34年に第1回修道医会総会が開催されたと聞いております。それから回を重ね、令和5年7月29日に4年ぶりの対面開催を実現し、第67回修道医会総会が開催されました。総会の前に開催された顧問会において、宮本勝也前会長の後を受けて会長に推戴され、評議員会及び総会にてご承認を頂き、第24代修道医会会長のご指名を頂きました。

私は、昭和48年に田舎の中学校から修道高校に入学し、当時己斐の山の上にありました学而寮に入寮しました。恥ずかしながら入学して初めて修道高校が男子校であることに気づいた次第です。確かに入学試験の時に男しかいないことに薄々気づいていたのですが、試験会場が男女別なのだと勝手に解釈していました。入学してからはサッカー部に入りましたが、中学時代野球部で過ごした私には周りのレベルが高すぎたこと、入部早々監督の渡辺先生(皆オッケーと呼んでいました)からやりたくなかったゴールキーパーに指名されたうえ、厳しい練習についていけず1年生の夏合宿終了後に自主退部しました。今考えても途中でサッカー部を辞めことを後悔していますが、それ以外の高校生活では何の不満もなく、修道の校風も大変気に入ったため息子二人にも修道高校への入学を勧めました。ちなみに息子二人ともやはりサッカー部に入りましたが、高校3年生のインターハイ予選までサッカーを続け、修道サッカー部OBとして認定されたのは次男のみでした。

話が大きくそれてすみませんでした。高校、大学を卒業して医師となり、修道卒ということで医療現場においても先輩方から色々な恩恵を受けてきました。もちろん、後輩からもありがたい多くのサポートを頂き大変感謝しております。この修道医会というコミュニティの恩恵をできるだけ多くの修道医会の先生方と分かち合いたいと思っています。この3年間のコロナ禍で、色々な催しが中止となるなか、修道医会においてもコロナ禍の影響大きく受けました。しかし、その間、大段秀樹前々会長、宮本勝也前会長そして松本正俊先生をはじめ事務局、役員、評議員の皆様のお蔭をもちまして、コロナ禍でも活動を停止することなく、継続的に活動することができました。修道医会と同様の医学部出身者の高校別同窓会は他にもありますが、このコロナ禍に縮小しながらでも会の活動を継続してきたのは修道医会だけだと自負しております。この場をお借りしまして関係者の皆様に御礼を申し上げます。

本会は、会員相互の親睦を厚くし、医学の研鑽と医道の昂揚を図ることを目的としています。令和5年7月29日に開催された第67回総会や8月20日にマツダスタジアムで開催された修道医会家族会にも数多くの先生方にご参加いただき、会員間の親交を深めることができました。一方で、もっともっと多くの先生方に参加して頂き、本会がさらに盛会となることを目指して今後の会の運営を行ってまいります。そしてこれまでの伝統を引き継ぎ、1人でも多くの会員の先生方が本会の恩恵を享受できるよう声掛けをし、一層の発展に貢献できるよう努力してまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

修道医会会長 板本 敏行(高校28回卒 金茶バッジ)